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時代の流れというものもあるけれど、違うことに対して寛容でなければいけないというような風潮も違うのではないかと思うことがある。

もちろん小さい頃から可能性を狭めてしまうのは違うというか、どれだけいろいろなものに触れるかで人生はだいぶん変わるともおもうので、子供に対して差別はダメなものだとか、世の中はこうあるべき、というのは良くないとは感じるのだけれど、

それをする大人を矢面に立てて自分は正しいことをしたという風に主張するのも違うのではないかとも考える。

終着点がない議論になってしまうけれど、自分は、という主観が失われない、そして尊重される会話ができるようにありたい。

 

喧嘩とか争いとかも相手に自分の主張を受け入れさせようとするところから始まるのではとおもうので、相手はそう考えてるんだな〜とおもう程度に留められるなら身の回りは結構平和になるのではないかとか。

そうは思うのだけど、ADHDの人はアドレナリンとかがあまり伝達されないから怒らないという説を聞いて、私のアドレナリンも正常になれば怒ったりするのだろうか?と気になっている。

ストラテラを飲み続けているけれど、いまのところそういう気配はない。