1/19

時代の流れというものもあるけれど、違うことに対して寛容でなければいけないというような風潮も違うのではないかと思うことがある。

もちろん小さい頃から可能性を狭めてしまうのは違うというか、どれだけいろいろなものに触れるかで人生はだいぶん変わるともおもうので、子供に対して差別はダメなものだとか、世の中はこうあるべき、というのは良くないとは感じるのだけれど、

それをする大人を矢面に立てて自分は正しいことをしたという風に主張するのも違うのではないかとも考える。

終着点がない議論になってしまうけれど、自分は、という主観が失われない、そして尊重される会話ができるようにありたい。

 

喧嘩とか争いとかも相手に自分の主張を受け入れさせようとするところから始まるのではとおもうので、相手はそう考えてるんだな〜とおもう程度に留められるなら身の回りは結構平和になるのではないかとか。

そうは思うのだけど、ADHDの人はアドレナリンとかがあまり伝達されないから怒らないという説を聞いて、私のアドレナリンも正常になれば怒ったりするのだろうか?と気になっている。

ストラテラを飲み続けているけれど、いまのところそういう気配はない。

1/15

どうしても、普通の流れに抗ってしまう。

30歳を越えて、好きな人と上手くやれるなら、結婚して、家族を作って、みたいな普通の流れは周りが期待する所だとは思う。でも同じ状況の人が当たり前に手に入れるようなそういう幸せを拒否してしまう。結婚は前向きに考えられない。誰かと長く一緒に過ごすのは正直怖い。

ここまでこんなに変に生きてきてしまったから、幸せになってしまうといけない気がする。人間としてどうしようもないのに、平均に釣り合うものを求めるのはおかしいと感じる。

我慢は別に美徳ではないと知っているし、いつかプロポーズされてみたいという夢だって持っているけれど、私が誰かに一生の一部を預けるような甘えを持ってはいけないと、別の私が主張している。

1/1

どうやって行きたいのか、と考えた時にあまりなも仕事に対しての気持ちが無く、戸惑ってしまった。

たしかに過ごしやすいところだけれど、何年もいる中で全然したいことが見つけられなくて、やる気がないから態度も酷くなって、きっともうとりもどせないからさらにやる気がなくなって、という悪循環がまあ深いところまで行っている状態ですが。

でも去年ちゃんと心療内科で診断してもらって軽度とはいえADHDと言ってもらえて、楽になった部分は多い。薬がもらえたのがとても大きい。

ストラテラジェネリックが処方されるようになって費用は半分くらいに抑えられるようになったけれど、1月中にはちゃんと自立支援制度を申請する。先延ばし癖がひどいので、こういうことをひとつずつちゃんとやって、できたって思わなきゃいけないのだと思う。

 

Kindle Unlimitedに登録したので、今まで避けていた自己啓発本をいろいろ読んでみることにしました。いろんなジャンルもつまみたい。

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術」

普通に働く、というのがすごく難しいということを肯定してもらえた安心感を得た。私がどれくらいできていないのか、は自分で判断できないけれど、ともかく定量化で自分を肯定することに努めたい。

「1440分の使い方」

先延ばしをしないための心の持ち方がたくさん書かれていたように思えました。実践の方法から、心の持ち方まで。

 

12/30

ストラテラを仕事の時に眠くならないようにする薬という認識をしているために、休日はつい飲み忘れてしまう。長期連休中は余計に忘れてしまう。

三日ぶりくらいに口にしたらその後とにかく口が渇いてしょうがない。その副作用のことを忘れていて、どうしてこんなに口が渇いているのだろうと数時間悩んでしまった。

一日程度開けるくらいなら然程気にならなかったので、ちゃんと続ける必要があるなとしみじみ思ってしまった。

ので、取り敢えず毎日アラームを設定しました。果たして効果があるのか。

12/11

愛したソシャゲの名前と存在を奪ったソシャゲのサービスが終了しました。

もっと感慨深くなるのかと思ったけれど、終了したことに対してはまぁ驚くほどにフラットで、それよりも終了に乗じて流れてくる思い出話に感傷的になったりしました。

言えることもあるし言えないこともあるから、すべてのユーザーと似た気持ちなのかどうかはわからないけれど、愛したソシャゲ自体開発元から手放されたなという気持ちはあるので、思い出だけを綺麗にしていきていければいいなとおもう。余計な上塗りがなさそうという事実は多くのユーザーの心を癒すことでしょう。

ともかくおとなしくしていてほしいけれどそうはできない会社だからもう1波紋くらいあるかもしれないけれど、期待すると何も起きないところてもあるから、つまらないエンターテイナーだなとつくづく感じる。

12/2

誰かと特別な関係を持つということは妥協点を探すことであって、多分誰に対しても100%何もしなくても合うということはまずないんだろうなとは感じる。なので、この人に対してはこの部分は妥協しても一緒にいたいと思えるかどうかが勝負になるのでしょうが、恋人という対象に対してはそれぞれの人に対してその妥協点と対処の方法が結構違うのでその作業は結構楽しいなと思う。

自分自身を捻じ曲げたりはしないけれど、この人にはここまで話していいんだとか、このレベルのわがままなら行っても許してもらえそうとか、連絡の頻度はこれぐらいがいいんだろうとか、日々こう過ごしてるからこういうことしたら喜んでくれるかなとか、そういうことを考えるのはもはや趣味なのかもしれない。

 

11/23

恋人というか自分を好きでいてくれる人はいなくてもなんとかなると思っていたけれどやはりいた方が圧倒的に精神が安定します。

生きてて良いという気持ちが持てる。

ありがたいことに自分に大分正直で居させてくれる人で、すでに実家のような居心地の暖かさを与えてくれる方に巡り会えたので、ありがたい限りです。

ある種の初々しさで人と接することができるのは楽しいし、刺激って大事なのだと感じている。今まで諦めていたことがぽろぽろと叶ったりして、取り戻しに行っている気分。

 

とはいえ急ぎすぎず、相手を見て、知ることを忘れず、永く過ごすことができればと思います。